2022.08.01
八百屋とは?
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ショッピングモールやスーパー全盛の今、町の八百屋さんは少なくなってきましたが、今も昔も私たちの食を支え続けています。店主に調理方法を聞いたり、旬の野菜を教えてもらったりと、ただ野菜を買うだけではなく、そこでのやりとりも楽しいものです。天井からつるされた釣銭入れから「はい、おじょうさんお釣り100万円」なんてジョークももう古いですかね?今回は八百屋について、その由来や歴史をご紹介したいと思います!
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八百屋の歴史
広辞苑には、八百屋について「野菜類を売る商家。また、その人。青物屋」と記載されています。「青物(あおもの)」とは野菜の総称のことで、「青物屋」とは「野菜や果物を売る店」のことを言います。
日本での八百屋の始まりは平安時代の10世紀ごろで、当時は自分で作った野菜類を町で売り歩いていたようです。江戸時代の17世紀に、店での野菜類の販売がはじまり、そのころは野菜類以外の物も売られていたと言います。
そして18世紀に入ると、商品は野菜類に限られて、葉菜類、根菜類、果菜類だけが店頭で売られるようになりました。この頃には流通の流れもできていて、都市の青物市場に野菜類が集荷されて、八百屋はそれを仕入れて小売りしていたそうです。
八百屋の語源は?
それでは、なぜ「八百屋」と呼ばれているのでしょうか。
冒頭にもあったように、江戸時代、八百屋は「青物屋」とも呼ばれていました。これが「青屋」と略されて、さらに「やおや」と呼ばれるようになったというのが一説です。
一方、日本大百科全書では、語源について「そこではいっさいの精進の調菜(副食物)、乾物、海藻、木の実、草根などを扱っていたので八百屋といった」と説明されています。店で野菜販売が始まった17世紀当時は、野菜類以外のさまざまな食材も一緒に売られていたことから、物事の数が多いことを表す「八百」という言葉が当てられて「八百屋」と呼ばれるようになったという説もあるようです。
さまざまな取り組みで、私たちの食を支えてくれている八百屋さん。今回はその歴史や仕事内容について、ご紹介しました。